キルフェボン 季節のフルーツタルト〜冬バージョン〜
生まれて初めてキルフェボンに行った。
10年来の夢が叶った瞬間だった。
タルトの人の心を奪う力というのはこんなにも強靭なのだと思い知らされた。目移りしまくって2周してしまった。
10年来の憧れだったわけだが、長らく足を運ぶことはなかった。それは小さい頃から植え付けられた「贅沢はしちゃいけない」という価値観の、成れの果てであった。
そして自分にとっての贅沢とは、キルフェボンだった。キルフェボンこそ贅沢の極みだった。
今回いわば清水の舞台から飛び降りる格好でキルフェボンに足を運んだわけだが、得られたものの大きさを噛み締め、なおかつまだその大きさを受け止めきれないでいる。
自分にとってキルフェボンとは、いわば親の価値観から脱却することの象徴の一つだったのだろう。
傍目から見たら贅沢に見えることはこれまでいくつもしてきたつもりだ。でもキルフェボンはその贅沢ピラミッドの頂点にいつも君臨し続けていた。
上原ひろみ女史のブログで見たのが初めてのキルフェボンとの出会いだった。まだ学生で自由に使えるお金もないころ。憧れた。
10年余の憧れを叶えるという体験が人生初だったのかもしれない。小さい頃から、願望や「こうしたい」意志のようなものをことごとく押し殺してきた。仕方なかった。そうする他に生きていく術を持たなかった。
なのでこの「いつかキルフェボンに行きたい」という意志も何度も消えかかった。これを達成できたというのは自分にとってエポックだ。
それにキルフェボン。何から何までおしゃれである。
友達とゲランのカウンターに行った時その友達は「一人じゃこんなとこ来れない」と言ったが、自分にとってそれはゲランではなくキルフェボンだ。数年前の自分ならその360度発せられるおしゃれ光線で全ての感覚を失っていたことだろう。
ここにきてやっと味を振り返る。季節のフルーツタルト。
様々な果物がまず味覚を満たしにかかってくる。その有り余る刺激を和らげるかのようなカスタードクリーム。かと思いきや、このクリームも存在を主張している。ただ自然の力には勝てない。フルーツは主役の座をほしいままにしている。
そして底を支えるタルト。味に惚れ込むとはこのことか。バターの風味が全てを包み込む。
あっという間に完食した。キルフェボンについに行くことができた、その達成感でお腹いっぱいになっていた。
自分はあまりに人生の経験値が少ない。これからもきっとやりたいことを叶えられたり叶えられなかったり一喜一憂することだろう。そんな一つひとつの瞬間を味わい尽くしたい。そうすることでなんとか経験値を取り戻していきたい。